handmade

日記ですな。私が生きた証。 私が自ら作り上げていく人生。 第3幕。

悔い

先日まで人生で後悔した場面は2つあると思ってたのだけど、

 

それについて考えてみた。

 

そうしたら、どうしたってあの環境やあのコースで、私のような人間が下す決断としては、あれしかないような気がしてきた。

 

なんなら、あの場面でも悩んだし、今まで後悔したとして、今現在なんかしょうがなくね?それ以外の道なくね?みたいに思えるところまでが1セットなように思えてきた。

 

ゴルフのグリーンでいえば、そりゃそのラインに入ったら、カップインするやろみたいな、感覚。

 

自分を客観視するとなおさら、そんな前提条件だったらここで私みたいな人間は100%こう動いちゃう、こう結論出すだろうな〜みたいな。

 

場面で言えば、後悔しているだろうし、過去に戻りたいと思うところもあるけれど

 

そこに至るまでの紆余曲折や、その時の環境やタイミングとかそういうものを照らし合わせると、もはや私の意思ではなく、見えざるガイドラインみたいなものがあって、そのラインに乗るだけで後悔も付いてくるセットなのだ。

 

そう思えてきた。

 

だから点で言えば戻りたいし後悔なのだけど、線でいえば、ラインで言えば今日のここまで繋がってるただの後悔だ。

齢30

齢30になってきて思うのですが、

ここらへんは気を抜くと色んな欲に目移りさせられます。周りが好きなものが自分も好きだと錯覚したりもします。

 

解像度と取捨選択。

 

それをがんばってもまぁ自分の空っぽさに辟易するのですが、抗ったという事実は残るのが唯一の救いって感じです。

 

何を思ったかなんて忘れますが

事実は忘れません。

頑張ったことは結果です。

 

 

感度

自由に生きることに関する感度

気を遣わないことに関する感度

底で感じてることに関する感度

 

それが高いだけ。おそらく。

みんなが間違っているわけでも、見て見ぬ振りをしているわけでもない。

 

感じない、もしくは鈍っている。

 

だからその分野では多分心地よいのはこういうことだろうと一歩先の未来を見せられるかもしれない。

 

戯言かもしれない。

「新しい」のある生活

f:id:naga-yu:20181006232318j:image

 

今日ドラムを叩きたいと思って

初めてスタジオを個人練習で借りて

叩けないドラムをダムダムドスドス叩いて

 

初めてスタジオのアンプにエレキを通し

スタジオマイク伝いに発声し

スタジオの外部出力からミスチルを流したりした。

 

一連のこと、わからないことも多くて

機材の動かし方やらなんやらわからないこともあったけど操作していくうちに知ったりして

 

その前に音楽で全然生きてない私がスタジオの会員になんかなっちゃったりして

 

ともかく好奇心だけでいろいろやったけど

こういう「新しい」があるのはとても良いことだなぁと思った。

 

わからないことに飛び込んでみたり

好奇心がそれに打ち克てたり

 

そりゃ経験者からすれば微塵もないことなのですが。

 

自分からやった「新しい」があることはとても良いことだと思ったし、そういうの続けたいと思ったしせめて1年に1回でも「新しい」があるような生活をしたいと思った。

 

 

ギターを持ってスタンドマイクの前に立つ自分を鏡で初めて見た。

 

 

素質

素質がないっていうより興味がないって言った方が多分正しい。

 

コミュニケーションも素質云々、陰キャとかじゃなく、興味がないというか、これ以上にどうこうしようと思わないというか、もっと良いものがあるとか、コミュニケーションを取ることによって素敵な未来が…とか、思えないから興味がなくて素質がないんだと思う。

 

別に他人とコミュニケーションとるの嫌いとかじゃないけれど、そもそも人の好き好きはそれぞれで、喋りたかったら喋ればいいし、そうじゃなかったら静かにしててもいい、交わりたかったらそうすればいいし、そうじゃなかったら距離置いててもいい、みたいなスタンスだからそれをより良くするとか、そういうのは思わないのよね。

もちろん、誰かがそうしたいのにそれができないことは嫌だから、そういう意味でのコミュニケーションは図られるべきだとは思うし、そういうコミュニケーションの改善はしたいと思うけど、それを使ってどうこうまではいかない。

 

 

自由と責任。

代表とか発起人とかが楽なのは

ゲストではなくホストだからじゃないかと思ってたけど、多分違くて

人と違う部分、合わせる必要がありそうなところもあわせる必要がないほど自由であって、

その自由である代わりに負う責任は元からの責任感みたいなものでカバーできるから(そんな負担になってない)だと思った。

 

なにかを得るならなにかを失うとか

休みを主張するなら働けとか、そういうこと言うけれど、そういうのじゃないと思う。

 

説明するとなると多分、責任感故に、ほぼほぼの組織に属した時点で私は自由じゃなくなる。

自由でなくなった私はほとほと沈んでいく。

んでその組織から求められるものや拘束が少なかったらまだ他の道を見いだしたり、そういう負担が苦にはならないのだけど、

拘束が多いとその時点で自分の責任感故に身動きが取れなくなっていく。

 

ってな感じかな〜と。

 

そりゃあさ、どのポジションでも才能発揮できるプレイヤーなんておらんよなぁ。

 

自分で責任のとれることか

拘束や求められるものが最小のもの